養玉院如来寺は、昭和17年(1942) に宗教法人法の制定により、公称名を「養玉院」とした。
應
その後、太平洋戦争が勃発し、東京は空襲に遭った。養玉院も庫裡や所化寮 (旧如来寺庫裡)焼夷弾を受けて全焼、境内の外柵が 外されて避難用の防空壕が掘り起こされるなどし、とても悲惨な状況であったという。その後時を経て、昭和56年 (1981)
に阿弥陀堂、檀信徒会館、無量光殿を、続いて昭和63 年(1988) に山門、鐘楼、地下主車場、門番所を 新築して現在に至る。 幕末から明治にかけての混乱、関東大震災、太平洋戦争など近代には混乱の時期が続いたが、そのような中でも困難を乗り越え、移転後の寺域を守り、移転の際に運んだ宝物類が散逸することなく現在まで伝えられた。
現在、「大井のおおぼとけ」として知られる養玉院如来寺は、春には境内に桜が舞い、秋には紅葉と、四季折々の自然を感じることができる。そして境内のひときわ大きな建物である瑞應殿内に安置される五智如来像は、いまも変 らず温かいまなざしで参拝者を迎えてくれる。