如来寺の歴史
如来寺は、 帰命山如来寺大日院といい、寛永13年(163の3月19 日に木食但唱(1579 一1641)により 弟 子達と共に造った五智如来像を安置して開かれた。 建立地は、泉岳寺に近い高輪(港区高輪)の、東海道沿いで人の
往来が多くにぎやかな地で、 海に面した好立地であった。像高が一丈(約 3.3 メートル)もある五智如来像が五躯並ぶ姿は、江戸の人々から注目を集め、「芝大仏」 と呼ばれて親しまれた。 その様子は「江戸名所記」や「江戸雀」な どさまざまな案内記や浮世絵に描かれており、名所として知られていた。 万治年間(1658 一1661) 頃の絵図には如来堂、仁王門、鐘楼が描かれており、
また、「江戸惣鹿子名所大全」が 出版された元禄3 年(1690)の頃は五智如来像のほか観音菩薩や閣魔王像の名所でもあったことが伝えられる。
如来 寺は享保10年(1725) と延享2年(1745)におこった火事により、但唱らの造った五智如来像をはじめ石造仁 王像などが焼失する大きな被害に遭った。しかしその都度再建され、「江戸名所図会」の描かれた天保7 年(1836)
頃にも大きな如来堂をはじめ境内には鐘楼、地蔵堂、大日堂、天神社などが建ち並び、にぎわいをみせていた。 創建以来、明治に入って西大井に移転するまでは寺地を移動することはなかった。